気まぐれ鎌倉ガイド

2018年10月17日 (水)

鎌倉三十三観音霊場 第八番 明王院

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鎌倉の北東、朝夷奈の切通しから鎌倉への入口にある明王院は真言宗の寺院で鎌倉の鬼門除けノ祈祷寺として建立されたとのことです。
茅葺き屋根の本堂が趣のあるお寺ですが、境内は撮影禁止なので、季節の花と茅葺の本堂の素敵な雰囲気は是非訪ねてみていだだけたら幸いです。

明王院という名前のとおり、もともとは不動明王を中心に五大明王が祀られていたそうですが、鎌倉幕府の滅亡とともに衰退し、その後の火事で五大明王の内、不動明王だけが焼け残ったそうです。

札所の御本尊は十一面観世音菩薩で、観音様は境内入って右側のお堂に安置されていて、拝観することができます。

境内を出て東側を山の方に進むと天園ハイキングコースの入口があるので、ちょうどお参りした時はリュックサックを背負った中高年の方々が参拝に来られていました。


2018年10月 2日 (火)

鎌倉三十三観音霊場 第七番 光触寺

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光触寺は現在は時宗の寺院で、十二所から旧朝比奈の切通しへと向かう道にある静かなお寺です。本尊は阿弥陀如来像。こちらの阿弥陀如来は頬焼阿弥陀として、有名な像です。

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本堂の脇には塩嘗地蔵と呼ばれるお地蔵様が安置されています。
これはかつて金沢街道を横浜の方から塩を運んできた際に、商人がお地蔵さんに塩をお供えしておくと、帰りには潮がすだかり無くなっていることから、塩嘗地蔵と呼ばれるようにらなりました。

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光触寺に書かれた扁額の文字は、後醍醐天皇の直筆によるものだそうです。

かつては鎌倉への入口のひとつ朝夷奈の切通しに近く、多くの人が行き交ったであろう道沿いのお寺、今は朝比奈からの道はやや北側に作られたこともあって、静かな谷戸の鄙びたお寺といった感じが、素敵なお寺でした。


2018年8月21日 (火)

鎌倉三十三観音霊場 第二十六番 海蔵寺

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鎌倉駅西口から紀ノ国屋の信号を右折して御成不動産の前をまっすぐ、寿福寺、英勝寺を過ぎて扇ガ谷の谷戸の一番奥に位置するお寺が「海蔵寺」です。
山号は「扇谷山」、まさに扇ガ谷を代表するお寺ですね。
門前の大きな萩が有名で、山門に覆いかぶさるように枝がいっぱい伸びています。

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秋に咲く萩の花が、ちらほらと咲き出していて、秋も遠くないのだと思いました。

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四季折々、色々な花が咲く海蔵寺は好きなお寺のひとつで、今までにも何度か訪ねていますが、今回は三十三観音霊場のお参りとして初めて訪れました。
海蔵寺には境内の山の端を掘った岩窟中にある鎌倉時代の井戸である十六井戸が見どころのひとつで、いつも静謐に水を蓄えていて、こちらも好きなところですが、札所御本尊である十一面観世音はこの井戸から示現したと伝えられているそうです。

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春秋の休日には訪れる人も多いお寺ですが、暑さのぶり返した午後の境内は静かな時間が流れていました。

2018年8月 2日 (木)

鎌倉三十三観音霊場 第二十二番 極楽寺

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テレビのドラマの舞台によく出てくる江ノ電の極楽寺駅。改札口を出て左に坂を上がると道が二俣に分かれて、右に行くと鎌倉七口のひとつ「極楽寺坂」を越えて長谷へと向かいます。
左に桜橋(通称「赤橋」)を渡って、すぐ左折すると右側に茅葺屋根の山門が…。こちらが極楽寺になります。
極楽寺は鎌倉時代に忍性が開いた真言律宗のお寺です。七堂伽藍と塔頭四十九院の大規模な寺院でしたが元弘の兵火で焼失し、何度か再建を繰り返すもその度に消失して、現在の極楽寺はもともと塔頭であった吉祥院にあたるのだそうです。
現在住居表示で極楽寺一丁目〜四丁目、もとは極楽寺の住所だった稲村ガ崎一丁目〜三丁目の広大な土地がかつての「極楽寺」の境内だったのかもしれません。
あたりは私が子どもの頃から、街並みが大きく変わらず、落ち着いた、なんだか懐かしいような雰囲気が魅力的です。


2018年7月19日 (木)

鎌倉三十三観音霊場 第十六番九品寺

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内裏山 九品寺…材木座にある浄土宗の寺院です。
ここは鎌倉時代の終わりに、新田義貞軍が北条軍を討つために本陣を構えた場所と伝わるそうです。
新田義貞は鎌倉幕府を滅ぼしたあと、北条氏の戦死者を弔うためにこの地に九品寺を建てたと伝えられています。

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本堂に掛かる「九品寺」の扁額と、「内裏山」と山号の書かれた扁額はいずれも新田義貞の直筆と伝えられていますが、本物は損耗が激しいため、保管され、普段から掛かるこちらのものはその写しとのこと。

観光客が多いお寺ではないので、平日訪ねると思いがけない静かな時間が流れています。


2018年7月11日 (水)

鎌倉三十三観音霊場 第二十番 千手院

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千手院は光明寺の塔頭のひとつ。
前回ご紹介した蓮乗院が光明寺の山門に向かって右側にあるお寺で、今回の千手院は山門の左側にあるお寺になります。

もともと専修院と呼ばれ、阿弥陀如来を本尊としていましたが、千手観音が有名だったので千手院と呼ばれるようになったようです。光明寺に集まる学僧の修行道場である僧坊の
ひとつだったそうです。
江戸時代になると学僧の和が少なくなってきたので、住職は近所の子供たちに、読み書き、そろばん教える寺子屋になっていたそうです。明治になってからもその流れは続いて、一時期には「桑楊小学校」と呼ばれる小学校の教場になっていたこともあるとのこと。

今は訪れる人も少なく静かな境内です。


2018年7月 3日 (火)

鎌倉三十三観音霊場 第十九番蓮乗院

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鎌倉三十三観音霊場のご紹介、前回の光明寺に続いては、光明寺の塔頭のひとつ蓮乗院です。
蓮乗院の山号は「天照山」、光明寺と同じ山号なのですね。
蓮乗院は、光明寺よりも古くからこの場所にあったお寺で、昔は真言宗の寺院で蓮乗寺と言ったそうです。もともと蓮乗寺と呼ばれて佐助にあった光明寺がこの地に移ってきた際に、光明寺の子院となり、蓮乗院の名前になったようです。

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光明寺は1243年に良忠上人によって創建されましたが、光明寺が完成するまで良忠上人は蓮乗院に居住して、建築の監督をしたとのこと。こうしたことから、光明寺の新しい住職になると、まず蓮乗院に入ってから改めて光明寺に行くのがならわしととなり、そのならわしが現在でも続いているそうです。

お寺の本尊は阿弥陀如来立像ですが、観音霊場の札所本尊は、十一面観音となっていますが、秘仏となっており拝観することはできません。

参考文献:かまくら子ども風土記


2018年6月27日 (水)

鎌倉三十三観音霊場 第十八番 光明寺

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光明寺は浄土宗の関東総本山のお寺です。
材木座の海の近くにあって荘厳な屋根の本堂は海に向かって建っています。
本堂の東側には石庭が、西側には夏には蓮の花の咲く池が、どちらも見事なのですが、本堂と共に立派な総門が個人的にはとても好きです。

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もともとあった総門は鶴岡八幡宮の表門を移築したものだったそうですが、現在ある写真の総門は江戸時代に建てられたもの。現在ある山門としては鎌倉で最大のもので、「天照山」の扁額の文字は後花園天皇が書いたものといい裏に永享八年(1436年)と書かれているそうです。額の大きさだけでも畳一畳ほどもあるとのこと。この総門の楼上には、釈迦如来、文殊、普賢菩薩、四天王十六羅漢木造が安置されています。ふだんは楼上へ上がることはできませんが、桜の時期などに特別拝観で公開されますので、一見の価値ありです。

さて、札所本尊は如意輪観音、本尊の阿弥陀如来像の左側に安置されており、近くまで行って拝むことができます。三十三観音霊場を巡っていても、お近くで観音様を拝観できるところは少ないので、とてもありがたく感じました。


2018年6月15日 (金)

鎌倉三十三観音霊場 第二十四番 寿福寺

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鎌倉五山第三位の名刹でかつては七堂伽藍の大きなお寺だったそう。
今でも総門から山門へと続く参道は、歴史を感じさせる荘厳な雰囲気を醸し出しています。

栄西禅師の開山で、お寺には歴史の教科書にも出てきた「喫茶養生記」の初稿本の写しが保管されているそうです。

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江戸時代に再建されたという本堂には釈迦三尊と十一面観世音が安置されています。

寿福寺は通常は山門のところまでしか拝観ができないのですが、総門から山門への参道を歩くだけでも、少し非日常的な雰囲気を感じることができます。

裏手の源氏山山麓に源頼朝の奥さんの政子、鎌倉幕府三代将軍の源実朝、そして時代はぐんと下がりますが、歌人の高浜虚子の墓があります。

鎌倉駅から歩ける範囲にあるお寺なのですが、参道に入るとそんな距離感を忘れてしまう雰囲気を持っています。

2018年6月10日 (日)

鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第五番 来迎寺

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満光山 来迎寺。
西御門にある時宗のお寺です。本尊は阿弥陀如来ですが、他に三体ある木造は、もと法華堂(八幡宮寺の管轄)にあったが明治の神仏分離令により来迎寺に移されたとのこと。
その一体が神奈川県の重要文化財にも指定されている如意輪観音像。この像は衣服の刺繍の文様を立体的に表現するために、粘土や漆を混ぜて型を抜き、像に貼り付けた大小の土文様が特徴で、鎌倉でも土文様を残している仏像は9体しかないそうです。
訪ねた際は本堂の拝観ができなかったので、拝見することはできませんでしたが、是非一度本物を拝んでみたいと思っています。
ほかの二体のひとつはやはり神奈川県の重要文化財に指定された地蔵菩薩像と、鎌倉市の重要文化財に指定された抜陀婆羅尊者像。抜陀婆羅尊者像…バッタバラソンジヤと読むそうです…はこの像に祈ると、足腰の痛み、頭痛、目の病が治ると信じられて、昔は手編みの草履を奉納して足腰の痛みの治癒を祈願していたそうです。

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お寺には足腰の痛みによく効くという草履の御守りがありましたので、ひとついただいて、山に登る時のリュックサックに取り付けました。

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