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2019年2月20日 (水)

梶原のこと。

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鎌倉市の住所表示のひとつに「梶原」という住所があります。何となく鎌倉時代に梶原氏の家があったところだから梶原なのだと思っていましたが…昨日大山街道を走った時に寒川のあたりで道沿いに「梶原景時館趾」と書かれた石標がありました。
梶原景時ってこんなところに住んでるいたのだと初めて知り、少しびっくり。
それでは鎌倉の梶原は、梶原氏の屋敷があったから梶原と呼ばれるのではないのかな?

梶原の由来は鎌倉子ども風土記によると『梶原という地名は、むかし梶原景時・景季父子の先祖である鎌倉権太夫影通がここに住んで、梶原氏を名のっていたといわれています。また、このあたり一帯に梶の木が生い茂って原をなしていたところから「梶原」という地名が生まれたとも言われています。

さらに鎌倉子ども風土記には『梶原景時は、源頼朝が平氏を倒そうとして兵を挙げた時、平氏方の大庭景親に従っていましたが、石橋山の戦いのときに敗走する頼朝を助けました。「源平盛衰記」には、そのときのようすが、「景時が朽ち木のほら穴に隠れている頼朝を見つけましたが、景親には蜘蛛の糸が張っているから誰もいないと報告して頼朝の命を助けました。」と書かれています。
その後景時は源氏に従い、頼朝に信頼されて重職に就きました。景時は政治の手腕に優れていたようですが、巧みな工作を用いたために敵も多く、頼朝が死んで二代将軍頼家のときに有力御家人66人の抗議文により、鎌倉を追われ、一族を連れて寒川の一の宮に引き上げました。後略。』

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当時の一の宮の梶原屋敷は案内図で見るとかなり大きかったようです。
現在でも大山街道の脇に屋敷趾はきちんと存在していましたが、周りはすっかり家が立ち並んですっかり目立たなくなっていました。

それにしても思わぬところで「梶原氏」に出会って不思議な気持ちになりました。


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