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2018年4月18日 (水)

国府津と河津。

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昨日訪ねた国府津。そして、春先に桜を見に行った河津。
2つの町に共通するものはなんでしょうか。
「津」という漢字。
津という漢字に関係なくもありませんが、国府津も河津ももっと栄えていた時代があったことが共通しています。
国府津の地名の由来は、もともとここに相模の国府の港があったことによるそうで、さらには箱根に行く時にはここから乗り換える必要があり、当時の東海道線は国府津から山側へと向かう御殿場線のところだったそうです。多くの乗客が乗り換える駅だったので、駅前には割烹旅館や沢山の商店が並んでいたそうです。東海道線が小田原へ、更には丹那トンネルの開通により箱根を越えて(箱根の下を通過して)西へ延びたことによって、当時の東海道本線は御殿場線になり、国府津駅も乗り換えの人で賑わう駅ではなくなったようです。
当時の様子を偲ばせる老舗だった国府津館という旅館の場所は、昨日前を通ったら、門柱と旅館名を刻んだ看板だけが残っており、建物そのものは跡形も無くなっていました。
当時の国府津の雰囲気は、小田原に引き継がれてしまったのでしょうね。国府津町は合併により小田原市に編入されています。

一方河津…平安時代の頃には西国と東国を結ぶ重要な拠点のある港だったそうです。それが山津波によって崩壊してしまって、港はひとつ南の下田に移ってしまった…河津の谷津温泉の奥にある南禅寺は、もともと七堂伽藍を備えた大寺院があり、山津波によって長い間地中に埋まっていたとのこと。発掘された平安時代の仏像は現在境内にある美術館に展示されています。なぜこんな奥にこれだけ大きな寺院があったかというと河津が当時重要な港として栄えていて、航海の安全を願うために建てられたのではないかと美術館を管理する地元の方が話されていました。その後の歴史の舞台は大きく変わり、江戸の末期にペリーが訪れた下田は今でも歴史の教科書に出てくる港となりました。

丹那トンネルが開通して東海道線が箱根を越えて直通運転するようになったこと、山津波により町自体の形が大きく変わってしまったこと、それぞれの原因は異なるけど、知らなければどちらも当時の隆盛を極めた町の姿はほとんど残ってはいません。「津」は港という意味を表す漢字だから、国府津と河津、どちらも大きな港があったという意味で、やっぱり共通するのは「津」の文字でもあっていますね。

写真は河津南禅寺の境内で撮影したものです。


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