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2012年10月10日 (水)

鎌倉幕府の終焉の地・・・東勝寺跡

鎌倉幕府は、稲村ガ崎から攻め込んだ新田義貞の鎌倉攻めによって1333年に滅亡したのは、歴史の時間に学びましたが、その終焉の地が、小町三丁目にある東勝寺跡です。

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現地の教育委員会の看板によると、国指定史跡に指定されているこの地は、13世紀前半に鎌倉幕府第3代執権の北条泰時により、得宗(北条氏嫡流)家の氏寺として創建され、様々な宗派を学ぶ諸宗兼学の寺院であるとともに、周辺の地形と一体となった防御のための機能ももっていたと考えられているそうです。新田義貞に攻め込まれた当時の幕府の最高権力者であった北条高時は、ここで一族郎党とともに自害し、鎌倉幕府は滅亡しました。平成8年・9年に行なわれた発掘調査では、幕府滅亡時に焼失したと考えられる建物の跡と、それを覆う10数cmの炭の層が発見されたそうです。

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その先には、東勝寺で自刃した北条高時の首が葬られていたという腹切りやぐらがあります。

すぐ手前まで、閑静な住宅街となっているほんとにすぐ先に広がる敷地は、これから分譲でもするのかなって思ってしまうくらい普通にそこにあって、そこに看板がなければ、ここがひとつの時代の終わった場所だなんて信じられないくらいひっそりとしています。

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帰り道、道脇に咲いた一輪の彼岸花に、平家物語の冒頭の一節・・・

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず ただ春の夜のごとし

たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

・・・が浮かびました。平氏じゃなくて源氏の終焉の地なんですけどね。

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